「奈良にうまいもんなし」といったのは、明治の文豪志賀直哉。なんとも奈良の方々には失礼な話です。実際、奈良にも美味しいものはたくさんあります。三輪素麺や柿の葉寿司、そしておいしい日本酒。

※この記事を書いた日本酒ライターdencrossのプロフィール
吉野で醸されるお酒「花巴」

「花巴」を醸造するのは、奈良県のほぼ真ん中、吉野町にある美吉野醸造株式会社。創業は明治45年(1912年)ですから、100年以上の歴史をもつ酒蔵です。
吉野の地名は、「古事記」や「日本書紀」にも登場します。古くから名勝地と知られ、皇族や貴族が度々訪れていました。その後、離宮が置かれ、遊興の地として地位を固めました。万葉集のなかには吉野を詠んだ短歌が多く収録されていることからも、往時の吉野の様子を垣間見ることができます。
さて、吉野といえば山々に広がる桜と雪景色でしょう。特に吉野の山の桜は、豊臣秀吉が天下の花見を催したように、時代を超えて、現在に至って多くの人々魅了し続けています。
俳句の世界では、「花」というのは「桜」のことだそうです。吉野で醸されるお酒が「花巴」というのは、まさにピッタリの名前でしょう。
余談になりますが、お馴染みの百人一首にも吉野を詠った短歌があります。残念がら、どちらも桜を詠んだ歌ではないのですが、ひとつの歌は、少しだけ「花巴」に関係があるかもしれません。興味があれば一度探してみて下さい。
「花巴」の蔵元「美吉野酒造」
さきほど、百人一首に吉野が登場する短歌が2首あると書きましたが、そのうち一首が参議雅経の詠んだ短歌です。
「み吉野の山の秋風小夜(さよ)ふけて ふるさと寒く衣打つなり」
晩秋のわびしさを詠った歌ですが、冒頭の部分にご注目下さい。「み吉野」となっています。「み」は「吉野」に架かる美称。つまり、「美吉野」で、桜の咲きほこる山々や、晩秋の紅葉、冬の雪景色と、吉野の美しさを表現しているのでしょうか。
「花巴」を醸造する酒蔵は美吉野酒造。まさに、吉野の四季とともにお酒を育てている酒蔵です。
美吉野酒造は、明治45年に創業し、代表銘柄として「花巴」を醸造しています。「花巴」の名の由来は、やはり吉野の桜。「花」は吉野の山々のヤマザクラよりいただきました。「巴」は、末広がりの意味。ヤマザクラが末広がりになっているようすだけではなく、末広がりに酒蔵が栄えるように、飲んだすべての方々が末広がりに運がひらけてくるようにとの意味があるのでしょうか。何とも験のよい名前ではないでしょうか。
吉野の山々の育んだお酒
「美吉野酒造」が立地するのは、修験道の聖地としても知られる大峰山などの深い山々の連なる紀伊半島の山間部より流れ出す吉野川のほとり。山地が間近に迫る六田の地にあります。吉野は、四季の移ろいしっかりと感じることができる土地。特に、冬の冷え込みとしんしんと積る雪景色は、酒造りに適した土地といえるでしょう。

日本酒の大半は水。日本酒造りでは水が非常に大切な役割を果たします。美吉野酒造では、大峰山の清冽で豊かな伏流水をくみ上げて仕込みの水としています。この水をくみ上げる井戸は浅い井戸で、一説には万葉集に詠われた名高い「ゆずるはの井戸」ではないかという伝承もあります。
もうひとつ、日本酒造りに重要な役割を果たす酵母にも特色があります。通常は、日本酒醸造協会で頒布する、いわゆる協会酵母を用いた酒造りを行っています。また、自治体の研究機関が、その地方にあわせた酵母を頒布しているところもあります。多くの酒蔵は、こういった酵母利用して、おいしい日本酒を造っています。しかしながら、美吉野酒造はこれらの酵母に頼らない酒造りを行っています。発酵に使用する酵母は、蔵付の酵母や野生酵母を中心に使用した酒造りを行っています。
上質の酸の出る酒蔵
美吉野酒造の酒蔵は創業より、上質の酸が出る蔵として知られていました。蔵付の酵母の働きが大きいのかもしれません。酸が出るというと、酸っぱい酒質の酒と思われるかもしれませんが、そうではありません。
日本酒の味は、水の旨みと酸の旨みであると蔵元は頑固に主張します。酸っぱい酒ではなく、水の旨み、米の旨みと同調させて、発酵による乳酸の力を借りて多種多様な味わいのお酒の表情を造り出しています。
乳酸の生成方法は、醸造法によってことなります。そこで、美吉野酒造では、山廃、生酛、速醸といった3つの製法にいる酸の質感を失うことなく、全てを引き出すため、酒蔵の持つ伝統的な手法と経験を生かした酒造りを行っています。吉野の自然と風土に寄り添い委ねて自然な酒造りを施すことにより、しっかりとした酸と旨味が調和した日本酒が生まれます。
豊富な「花巴」のラインナップ2選

「花巴」と一口にいってもさまざまな商品があります。一般的には、大吟醸や吟醸といった精米歩合による分類や米の種類による分類などで商品の違いを出して、いろいろなタイプの商品ラインナップを構成しています。しかし美吉野酒造では酵母や質感に重点をおいた商品分類をするといった、他の酒蔵とはことなる商品構成をとっています。といいましても、お酒を愉しむこちらとしては、どんな分類でもおいしいお酒であれば問題は全くないのです。それでは、おすすめの商品を紹介していきましょう。
花巴正宗 純米酒 本醸造

「花巴正宗 純米酒 本醸造」は創業以来、時代に合わせて少しづつ味わいを変えてきた、偉大なるスタンダートのお酒。ちなみに、全国に「○○正宗」というお酒はたくさんあります。何でも100を超えるとか。元祖は灘のお酒「桜正宗」だそうです。このお酒が全国的に人気になったことから、あやかって「正宗」の名前を付けたお酒が全国に広がったそうです。
しかし、こちらの「花巴正宗 純米酒 本醸造」は元祖とは全くことなる味わいです。本醸造表記ですが純米酒ベースなので、そんじょそこらの本醸造酒とは味が違います。口あたりは軽く、ふくらみのある旨みがまったりとした味わいです。そこへ、当酒蔵の特徴ある乳酸由来の酸味がしっかりと息づいた爽やかな喉越しの一本です。冷やでも燗酒も大いに愉しめる、コストパフォーマンスが最高にいいお酒です。
花巴 山廃純米 無濾過生原酒
米の旨みや甘みもしっかり力強く感じられますが、何より「花巴」の根幹にある酸の豊かさを十二分に感じられます。酸といっても単純な酸味ではなく、複雑でふくらみのある、それでいて旨みや甘みときれいに調和した味わいは、他にあまりない味わいです。原酒ゆえ、常温や冷や、凉冷えが美味いかなと感じますが、燗酒も愉しいお酒です。日向燗から温度を上げていくと、産の力強さや旨みとの調和が猫の目ようにころころ変わっていきます。晩酌にもピッタリの一本でしょう。
酸が魅力の「花巴」
ここまで「花巴」を2本紹介しました。他にも数々の「花巴」がラインナップされています。「花巴」の特色ある酸が、商品によりさまざまな表情を見せてくれることに驚かせられます。酸が豊かな日本酒という切り口で新しい日本酒の象を作り出しているといっても過言はないでしょう。酸が魅力の「花巴」、数量限定品や季節限定品もありますが、価格もそこまで高価なものはあまりありません。ぜひとも一度ご賞味あれ。











